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最終更新日:2017/ 8/31(木) 10:00:08

研究会報告「国際問題評論家の対外認識」

目次

  1. 基本情報
  2. 報告の概要
  3. 補足情報
  4. 関連リンク

基本情報

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報告の概要

本報告は、4日前(7月16日)に国際文化学会にて行つた同名の報告の内容を、より拡充したものである。

日本の大手新聞社に、本格的な「外報部門」が設置されはじめたのは、20世紀初頭のことである。朝日新聞(当時は『大阪朝日新聞』と『東京朝日新聞』の2社体制)についてみると、東京朝日に外報部が置かれたのは明治44(1911)年、 大阪朝日は遅れて大正5(1916)年のことであつた。この東西両朝日において、それぞれ初代の外報部長を務めたのが、稲原勝治(1880―1946)と米田実(1878―1948)である。このふたりは、ともに地方から上京して苦学し、やがて渡米して現地の大学にて政治学や経済学を修めるなど、類似した経歴の持ち主であつた。しかも朝日入社後も、第1次世界大戦中に相次いでロンドン特派員を務め、人類初の総力戦を現地で直接見聞している。

報告者は、これまで20年ちかく、米田実の対外認識について詳細な研究を重ねてきた。そこで今回は、稲原勝治の言説に焦点をあて、米田のそれと比較することで、稲原の対外認識の一端を明かにしたい。

配布レジュメ (PDF形式)

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補足情報

本報告は平成26―28年度科研費(基盤研究C)「近代日本の外交思想:『転換期の国際社会』を知識人たちはどう捉へたのか」(代表・伊藤信哉/課題番号26380225)による研究成果の一部です。

また、ほかに何かお気づきの点がありましたら、ご一報いただけると幸です。

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