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最終更新日:2010/ 9/ 9(木) 19:59:59

論文「戦争賠償と日本の世論:占領・講和期における戦争賠償論の形成と展開」

目次

  1. 書誌情報
  2. 概要
  3. 中国語版
  4. 正誤表・補足情報
  5. 入手・閲覧方法
  6. 全文データ
  7. 参考文献リスト
  8. 関連リンク

書誌情報

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概要

1.論文の要旨

本稿は、さきの大戦をめぐる議論を、「権力と秩序の文脈に基くもの」と「道義と贖罪の文脈に基くもの」とに二分したうへで、占領・講和期(1945―52年)における日本の「戦争賠償」をめぐる議論が、これらの何れに属してゐたかを、当時の聯合国の賠償政策の変遷を蹈へつつ、解明するものである。

結論から述べれば、当時の戦争賠償をめぐる言説は、「権力と秩序の文脈」に基くものが圧倒的であつた。この立場において「賠償」とは、「戦勝国が、その特権的な地位を利用して、懲罰的に戦敗国に強制するもの」にほかならない。つまり今回の戦争で、日本が賠償を支払はされるのは、戦争中に何らかの「悪事」を働いたからではなく、戦争に負けたからである。その金額も国同士の力関係で決まるから、戦敗国としては、できるだけ少くなるやう努力すべきである。これが、当時の議論の大勢であつた。他方「道義と贖罪の文脈に基く賠償論」、すなはち賠償を「日本国(民)の戦争中の行為により生じた物質的・精神的損害を補填する金銭」と捉へ、原因となつた行為に対する「謝罪」と不可分の措置とみなすやうな議論は、敗戦当初はまだしも、1947年春以降は(いはゆる革新系の政党関係者を含め)少数を占めるに過ぎなかつた。

このやうな傾向が生じた理由としては、次の2つが考へられる。まづ当時の日本において、さまざまな「秩序」が動揺していたという事実である。敗戦と占領という未曾有の事態により、当時は政治体制ばかりでなく、経済や社会の秩序も崩潰の危機に瀕してゐた。このやうな状況下で、子供を餓死させてまで賠償のための資金を捻出したとしても、その行為を無条件に「道義的」とはいへないであらう。またそのやうな政策を国民が容認するはずもない。「戦争で迷惑をかけたのは残念だが、国内経済の回復を犠牲にしてまで、賠償を支払ふことはできない」との主張が、当時の国民から支持されたのは、とにかく秩序を回復しないかぎり、人道も贖罪もありえないといふ、「秩序は道義に優先する」との認識が広く共有されてゐたためであつた。

第2の理由として「選挙」の存在が挙げられる。新憲法により、議席数が政権の獲得に直結するやうになると、各政党は以前にもまして、選挙に勝利することを重視するやうになつた。そして選挙民の要求に応じ、国内秩序の再建を急ぐ必要に迫られた政治家たちは、必然的に、周辺諸国の人々の声に耳を傾ける余裕を失つてしまつたのである。かくして国民も政治家も、そしてマスメディアも、国外の状況に心を配ることができず、被害国からの賠償要求を著しく軽視することになつたと思はれる。

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2.論文の目次

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中国語版

本論文は2010年に中国語に翻訳され、中国社会科学研究会『跨世紀中日関係研究―東瀛求索2005-2006年巻』北京:社会科学文献出版社に収録されました。詳細は別ページを設けましたので、そちらをご覧ください。

「戦争賠償與日本的輿論:占領・媾和期間之戦争賠償論的形成與展開」のページ

※翻訳にあたり、若干の増補改訂を加へました。その全文(日本語)は、上記ページ(全文データ)からダウンロードできます。

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正誤表・補足情報

いまのところ誤記や誤植は見つかつてゐません。なにかお気づきの点がありましたら、ご一報いただけると幸です。

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入手・閲覧方法

購入方法

本書(ISBN 481650320X)は、大学生協や一般の書店、オンライン書店古書店などで購入できるやうです。

閲覧方法

本書は、各地の図書館(大学図書館・公共図書館)で閲覧できます。

全文データ

商業出版物に収録された論文ですので、当分の間、こちらで全文データを公開する予定はありません。上記の図書館にて紙媒体をご利用下さい。

※ちなみに上記中国語版のページでは、翻訳前の原稿の全文を公開してゐます(PDF形式)。ただし、原版を増補改訂してゐますので、利用の際には十分ご注意下さい。

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参考文献リスト

(現在作成中です)

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