最終更新日:2009/ 3/13(金) 15:25:53
論文「松山捕虜収容所の概要」
書誌情報
- 名称:
- 松山捕虜収容所の概要
- 種別:
- 論文(単行本に収録されたもの)
- 単著/共著の別:
- 共著(共著者:宮脇昇・松山大学法学部助教授)
- 収録書籍:
- 松山大学『マツヤマの記憶:日露戦争100年とロシア兵捕虜』成文社
- 発行年月:
- 2004年3月
- ISBN:
- 491573045X
- ページ数:
- 9―34頁(26頁)
概要
1.論文の要旨
本稿は収録書籍『マツヤマの記憶』の序章に該当し、本書の全体像を概観しつつ、タイトルにもある通り日露戦争に際して開設された「松山捕虜収容所」の概要について記したものである。
第1節(執筆担当:伊藤)では、合計すると7万名余のロシア兵捕虜(ただし当時のロシア帝国の多民族性によりポーランド人なども含まれる)が日本国内に収容されたこと、その人数は日本陸軍の4箇師団(戦時編成)にもあたる規模だつたこと、彼らが全国二十九か所に設置された収容所に入れられたことなどが記されてゐる。また捕虜の処遇に関する、当時の国際法の規定についても言及されてゐる。
第2節(執筆担当:宮脇)は、下記の目次に見える通り、松山捕虜収容所の特色について概観してゐる。全国で最初に開かれた収容施設であつたこと。講和条約の締結時、捕虜将校の5分の1以上が松山にゐたこと。全国で最も多い98名が松山で死亡し埋葬されたこと(ただしその多くは、戦場で負傷あるいは疾病にかかつたのち松山で落命したものである)などが紹介されてゐる。さらに、巷間よく言及される「松山では捕虜を厚遇した」との説について、具体的に検討すべき諸点についても触れてゐる。
第3節(執筆担当:宮脇)は、実際に捕虜が収容されてゐたすべての施設(寺社や公会堂など)について、その概要を紹介してゐる。その数は寺院・公共施設・民有建物など総計21にのぼり、(現在の)松山市内の各所に点在してゐた。また捕虜将校に対しては、収容所外の民家を借りて家族とともに居住することを許す制度があり、松山では18名がこれを利用したことなども紹介されている。
2.論文の目次
- 1 日露戦争における捕虜の「発生」とその処遇
- (1)捕虜の発生
- (2)捕虜の処遇―国際法における規定
- 2 松山収容所
- (1)日本初の捕虜がきた
- (2)日本最多の捕虜将校
- (3)日本初の捕虜死亡・埋葬。全国で最多の埋葬者
- (4)自由散歩制度
- (5)「捕虜が厚くもてなされた」ことはどこまで事実か?
- (6)捕虜をめぐるトラブル
- (7)捕虜と市民との国際交流
- 3 捕虜はどこにいたか?
- (1)収容施設
- (2)民家居住
正誤表・補足情報
- いまのところ誤記や誤植は見つかつてゐません。なにかお気づきの点がありましたら、ご一報いただけると幸です。
- 本論第1節の内容は、研究会報告「日露戦争における捕虜経費の支弁について」の導入部として発表したものを、手直しのうへ文章化したものです。そちらも併せてご覧いただければ幸です。
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