最終更新日:2009/ 3/13(金) 14:17:11
論文「日露戦争における「戦後補償」問題」
書誌情報
- 名称:
- 日露戦争における「戦後補償」問題
- 種別:
- 論文(単行本に収録されたもの)
- 単著/共著の別:
- 単著
- 収録書籍:
- 日露戦争研究会『日露戦争研究の新視点』成文社
- 発行年月:
- 2005年5月
- ISBN:
- 4915730492
- ページ数:
- 357―373頁(17頁)
概要
1.論文の要旨
今日「戦後補償」といへば、さきの大戦にまつはるものを想起するのが一般的であるが、日本が過去に戦つた対外戦争の多くでも、同様の問題が生じていた。本稿は日露戦争(1904―1905年)ののち、ロシア側から提起された戦後補償の要求に、日本側がどのやうに対応したかを明かにするものである。
具体的には開戦の劈頭、仁川港に集積されてゐた石炭を日本軍が押収したことに端を発する「ギンスブルグ商会事件」、旅順攻略戦のさなかに発生した「グリゴロウィチ事件」と「アンガラ号事件」、終戦間際の樺太占領作戦に伴ひ生じた「プレテネフ事件」と「マコフスキー商会事件」を取り上げる。これらのうち、グリゴロウィチ・プレテネフの両事件は、日本側が事実調査を行つた結果、比較的簡単に解決をみた。しかし残る4つの案件については、事実認識にくはへ、戦時国際法の解釈などでも両国が鋭く対立したため、長期に亘つて紛糾することになつた。
しかしその後、両国は1907年に第1回日露協約を結ぶなど、急速にその関係を深めてゆく。さうした状況の下で、日本政府は「法律問題としては、帝国政府に於て之〔ロシア側の要求〕に応ずるの義務を有せず」としながらも、「対露政策の大局に顧みるに、此際法律上の見地に拘泥せずして事件の実質を調査し、情状の酌量すべきものは純然たる恩恵の趣意を以て相当の救済を与へ」、速かに懸案の妥結を図るべきとの方針に転換する。そして、これらの案件を一括して処理することとし、ロシア側とも交渉のうへ、1911年までに、すべての懸案の処理を完了した。
このやうな日本政府の対応について、どう評価すべきか。もちろん「外国の圧力に屈し、法律上の原則をねじ曲げた」として、その弱腰を攻撃することはできるだらう。相手国が強く出てくると「大局的に事件を処理する」との名目で妥協するといふ、一貫性のなさを批判すべきかもしれない。しかし、相手国の意向を精確に把握し、弾力的な対応をすることによつて、紛争の平和的な解決に成功した点については、一定の評価をすべきではなからうか。また、当時の日本政府の、国際法の運用能力にも注目すべきである。たとへばグリゴロウィッチ事件における陸軍側の対応は、当時の交戦法規を知悉した的確なものであり、紛争の迅速な解決に大きく貢献してゐる。
ある国が、条約や慣例などの「国際的規範」をどの程度まで理解してゐるか、またそれらを、どれほど自由に駆使できるかは、その国の紛争処理能力を測るさいの重要な尺度となる。一方で、その国の有する「国際情勢や政治状況を見極める力」や「困難な交渉のなかで妥協点を見いだす力」も、そのやうな尺度の一つといへる。その点から、本稿で紹介した諸事例を見直すと、当時の日本が、その双方において高い能力を示したことが確認できる。
2.論文の目次
- はじめに
- 1 要求の提出
- (1)ギンスブルグ商会事件
- (2)グリゴロウィチ事件
- (3)アンガラ号事件
- (4)プレテネフ事件
- (5)マコフスキー商会事件
- 2 一括交渉の開始
- 3 交渉の進展と妥結
- をはりに
正誤表・補足情報
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